CASE STUDY
有馬芸妓を
次世代へ繋ぐ
活動のための寄付

有馬芸妓――
それは、旅人の心を
ほどいてきた湯のまちの彩り。
三味線にあわせて舞う姿は、
有馬の記憶とともに
幾世代にもわたって
受け継がれてきました。
けれど今、
その継承の火は小さくなり、
文化の命脈が揺らいでいます。
この舞が絶えれば、
まちに宿る物語も
共に失われてしまいます。
皆さまの想いひとつひとつが、
未来へ続くあかりになります。
子どもたちが出会う
日本の美しさを、
有馬の誇りとともに次の世代へ。


直面している問題
有馬芸妓は訪れる旅人に歌舞音曲を披露してきました。14世紀の文献に初めて登場するなど歴史は古く、もともと有馬温泉唯一の温泉浴場への案内や利用説明、利用時間の管理などをしていました。秀吉の時代には、禄高が与えられ、中央に認められるようになります。各宿坊に専属の湯女が配置され、御所坊には「まき」という大湯女が所属し、名前が代々受け継がれたようです。江戸時代には歌舞音曲も披露するようになり、日本舞踊の「藤娘」にみられるような日本中で憧れの的となるようなスター湯女も誕生しました。
しかし明治時代に、温泉浴場が建て替えられたのを機に湯女制度は廃止され湯女は「有馬芸妓」へと変化しました。そして夕食時に歌舞音曲を披露する現在のスタイルに変化したと言われています。1970年代の団体旅行の時代に、有馬芸妓は最も隆盛を極め、一時は100名を超える芸妓が活躍しましたが、旅行需要が団体から個人へ、そしてインバウンドの時代へと変化する中、お座敷遊びの需要が減少してきました。これに伴い、年々芸妓も減っており、現在は8名程度までに減少してしまいました。
有馬芸妓は、神戸市無形文化遺産に登録される有馬温泉最古の祭に必要な歌舞のほか、地元に根付く様々な演目を受け継いできました。そのため、有馬芸妓が廃れてしまうことで、神戸・有馬が培ってきた大切な記憶も共に失われてしまうリスクに直面しています。
現在の活動内容
地元の旅館をはじめとした観光事業者は、有馬伝統文化振興会や有馬温泉観光協会を通じて資金を拠出するなど、有馬芸妓の技術の維持・継承を支援しています。また、神戸市とも連携し、神戸歴史遺産支援制度への登録や、ふるさと納税を活用した支援事業を実施することで、有馬温泉を訪れる旅人に向けて有馬芸妓の歌舞音曲を広く発信しています。こうした取り組みにより衰退への一定の歯止めは掛かっているものの、若手への技術伝承や育成には依然として課題が残っています。




皆さまからのご支援・
ご寄付を必要としています。
ご寄付先
有馬伝統文化振興会
ホームページは現在準備中です。
完成次第、こちらにリンクを掲載いたします。
ご寄付の使い方
- 有馬伝統文化振興会への寄付を通して、
伝統技術の継承、若手の育成などに取り組んで参ります。
また、舞そのものを楽しんでもらえるメニューを、
個人客やインバウンド客へ拡販していく活動を支援していくことで、
有馬芸妓の自立を支援して参ります。
文化を
未来へ